tsukinosayakanari’s diary

コロナ禍で思ったこと

パラサイト 半地下の家族

昨晩、金曜ロードショーで放送されていたので、録画していいたものを見た。

韓国映画は、もちろん面白いものもあるけれども、韓ドラの印象で、登場人物たちが感情的で、ストーリーも突拍子もつかないような、少女漫画的な劇場型の映画の印象だった。特に10年ほど前まで。

もちろんこの映画にもその要素はあったけれども、単純に映画としておもしろかった。前半は、「人が良すぎでしょ、だまされすぎでしょこの金持ち夫婦・・・」とあまり乗り気じゃなくみてたけど、後半の怒濤の展開がテンポもよく、飽きなかった。豪邸のセット、CGもあるみたいだけれども、実際につくってみたい・・・

アカデミー賞作品ということで、社会的背景・貧富の格差なども扱って、対比の演出が冴え、終わった後もしんみり余韻があるけど、なんだろう、湿っぽくはなくて、退屈は全くしなかった。

 

貧富の格差はますます広がって、うまれたときから恵まれた人がいて、いったん貧しくなると、なかなか富裕層に入れないし、入ったとしても、気がついてしまったことでますます自分の教養のなさを実感してしまうんだな・・・最初から貧困層にいて、気がつかなければ一生気がつかないのだろうけど・・・しかも、少数の富める人々は、大勢の貧しい人々の犠牲の上に成り立っているところもあるのだ。

ここ数年の世界の話題作、パラサイト、ジョーカー、万引き家族、(天気の子もここに入るのか?)みんな貧富の格差がテーマになっているのは、世界的なトレンド、関心なんだろうな。そこでいくと、未来のミライは逆行してるのか。演出を第一とした建築の不気味さはパラサイトと共通しているかもしれないけど。

 

感想・レビューサイトめぐりしてたら、町山氏のたまむすびがあった。

宇多丸、『パラサイト半地下の家族』を語る!【映画評書き起こし2020.1.24放送】

このなかで、韓国の若者が、

「三放世代」・・・恋愛と結婚と出産をあきらめる

「五放世代」・・・さらに、就職、マイホームをあきらめる

「七放世代」・・・最近は、そのうえに、夢と人間関係を放棄する

これらを諦めざるを得ない表現として使われているそうだ。

 

自分にあてはめると、三放をあきらめきれないけど、最近は受け入れつつあるかな・・・五放のマイホーム、七放の人間関係は、いつのまにか諦めてるな・・・